読み物・歴史
坊っちゃん列車 ―『坊っちゃん』が名づけた、明治の汽車
漱石の小説『坊っちゃん』で「マッチ箱のような汽車」と描かれた伊予鉄道。明治21年のドイツ製蒸気機関車に始まり、78年の歴史といったんの引退、そして平成の復元運行までを、一次資料にもとづいて紹介します。
「マッチ箱のような汽車」
道後や松山の街を旅すると、レトロな蒸気機関車風の列車が路面をゆく姿を目にします。「坊っちゃん列車」です。その名は、夏目漱石の小説『坊っちゃん』に由来します。作中、松山の中学校へ赴任する主人公が乗った軽便鉄道時代の伊予鉄道が「マッチ箱のような汽車」と描かれたことから、この愛称が広まりました。文学作品の一節が、そのまま列車の名になったのです。
明治21年、ドイツ生まれの蒸気機関車
坊っちゃん列車のルーツは古く、1888年(明治21年)10月28日、伊予鉄道が松山(現在の松山市駅)と三津の間を開業したときにさかのぼります。このとき走ったのが、ドイツ・バイエルン王国のミュンヘンにあったクラウス社製の小型蒸気機関車でした。狭い軌間(762mm)を走る小さな機関車は、四国で最初の鉄道として、松山の近代化を牽引しました。
78年の歴史と、いったんの幕引き
以来、蒸気の坊っちゃん列車は長く松山の足として親しまれましたが、動力近代化の波には抗えず、1954年(昭和29年)に運行を終えました。1888年以来78年にわたった蒸気機関車の系譜は、ここでいったん幕を閉じます。役目を終えた車両の一部は、正岡子規ゆかりの子規堂(松山市内)や梅津寺公園などに保存され、往時の姿を今に伝えています。
平成によみがえった「動く記憶」
それから半世紀近くを経た2001年(平成13年)、伊予鉄道は坊っちゃん列車を復元運行として復活させました。現在の車両は、当時の蒸気機関車の姿を忠実に再現しながら、環境にやさしいディーゼル機関で走ります。道後温泉駅前をはじめ松山市内の路面電車の線路を、明治の面影をまとった列車が今日も行き交い、湯の町の風景に欠かせない存在となっています。
※ 運行系統・ダイヤは変わる場合があります。乗車の際は伊予鉄道の公式情報をご確認ください。
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出典・参考資料
最終確認: 2026年7月