読み物・文学

文学の湯 ― 正岡子規と夏目漱石が歩いた道後

正岡子規(1867〜1902)と、1895年に松山中学へ赴任した夏目漱石。二人が52日間暮らした下宿・愚陀佛庵(2026年7月に再建)、子規記念博物館の観覧料と開館時間、道後温泉本館を改築した伊佐庭如矢をまとめています。

子規と漱石と道後の早見

(2026年10月23日に松山市・松山市立子規記念博物館・道後温泉公式サイトの案内で確認)

内容
正岡子規1867〜1902年。松山出身の俳人・歌人。本名は常規(つねのり)
夏目漱石1895年(明治28年)4月に松山中学の英語教師として赴任し、約1年後に熊本へ移った
愚陀佛庵漱石の下宿。1895年に子規と52日間ともに暮らした。2026年7月24日に二番町で再建された
坊っちゃん湯小説『坊っちゃん』(1906年)に出てくる温泉が道後温泉本館とされ、こう呼ばれる
本館を建てた人1894年(明治27年)の改築を進めたのは、初代道後湯之町長の伊佐庭如矢

松山生まれの正岡子規

正岡子規は1867年(慶応3年)に松山で生まれ、1902年(明治35年)に亡くなりました。本名は正岡常規(つねのり)です。松山市立子規記念博物館は子規を俳人・歌人と紹介していて、俳句・短歌のほかに新体詩、小説、評論、随筆も書いています。

子規記念博物館の観覧料と開館時間

子規記念博物館は道後公園の中(道後公園1-30)にあります。

内容
観覧料個人500円、65歳以上250円(証明書を見せる)、小中高校生は無料。特別展は別の料金
開館時間5月1日〜10月31日は9:00〜18:00、11月1日〜4月30日は9:00〜17:00。入館は閉館の30分前まで
休館日年度や季節で変わる。博物館のカレンダーで確かめる

漱石の松山赴任と、子規と暮らした愚陀佛庵

夏目漱石は1895年(明治28年)4月、松山中学の英語教師として松山に来ました。道後温泉本館が改築された翌年です。翌年の4月には熊本の第五高等学校へ移ったので、松山で暮らしたのは1年ほどです。

漱石の下宿は「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」と呼ばれます。1895年の8月から10月にかけて、子規は漱石のすすめでここに移り、二人は52日間ともに暮らしました。松山市の観光案内には「50日余り」とも書かれています。

愚陀佛庵の建物は、萬翠荘の裏に建っていたものが2010年7月に土砂崩れで倒れました。松山市は番町小学校のプール跡地(二番町四丁目6-1)に木造2階建てで建て直し、2026年7月24日に開きました。開館は10:00〜19:30、水曜日と年末年始は休みで、入館は無料です。

1895年10月、漱石は子規と道後温泉本館の3階の個室を使ったといわれています。その北西の角の部屋は、1966年(昭和41年)に「坊っちゃんの間」と名付けられ、本館に入った人が見学できます。

「坊っちゃん湯」の誕生

松山での体験は、のちの小説『坊っちゃん』(1906年発表)に生かされました。作中で主人公が通う温泉は道後温泉がモデルとされ、本館は今も「坊っちゃん湯」と呼ばれます。

道後温泉駅前の放生園にある坊っちゃんカラクリ時計は、本館建設100年の記念事業として1994年(平成6年)に作られました。8:00〜22:00の毎時、小説の登場人物が出てきます。坊っちゃん列車は2001年(平成13年)に復元され、運行を始めました。

道後温泉本館を作った人:伊佐庭如矢

いまの本館は、初代道後湯之町長の伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)が改築を進め、1894年(明治27年)にできあがりました。反対の声が多いなか、「100年の後までも、他所が真似できないようなものを作ってこそ」と考えて進めたと、道後温泉の公式サイトは伝えています。改築の経緯は道後温泉の歴史に、建物のつくりは道後温泉本館の建築にあります。

句碑をたどる ― 湯の町の文学

放生園には足湯とカラクリ時計、かつて本館で湯を出していた湯釜があります。正岡子規像や、石手寺の参道をはじめ各所に立つ句碑とあわせて、

出典:

最終確認日: 2026年10月23日

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出典・参考資料

最終確認: 2026年10月