読み物・歴史

道後温泉の通史 ―『日本書紀』の湯から、坊っちゃん湯まで

『日本書紀』や『伊予国風土記』逸文に皇族の来湯が記される道後温泉の歴史を、596年の聖徳太子来湯、1894年の本館落成、1994年の重要文化財指定、2024年の全館営業再開まで、年表と一緒にたどります。

年表:古代から現在まで

年できごと
596年厩戸皇子(聖徳太子)が来湯し、伊予湯岡碑を遺したと『伊予国風土記』逸文が記す
684年『日本書紀』天武13年10月の条に「伊予湯泉(いよのゆ)没して出でず」。白鳳地震で湯が止まったとみられる
14世紀河野氏が一帯を治め、湯築城を本拠にする
1635年松平氏が松山藩に入り、藩による温泉の経営が始まる
1894年道後温泉本館(神の湯本館棟)が落成
1895年4月夏目漱石が松山に英語教師として赴任
1899年又新殿・霊の湯棟が竣工
1966年本館3階に「坊っちゃんの間」が開かれる
1994年12月27日本館が国の重要文化財に指定される
1996年7月刻太鼓の音が「残したい日本の音風景100選」に選ばれる
2002年4月湯築城跡が道後公園として開かれる
2017年9月道後温泉別館 飛鳥乃湯泉が開業
2019年1月15日本館の保存修理工事が始まる(営業を続けながら)
2024年7月11日本館が全館営業を再開

日本三古湯の一つ、道後の湯

道後温泉は、有馬温泉(兵庫)・南紀白浜温泉(和歌山)と並ぶ日本三古湯の一つです。『日本書紀』や『伊予国風土記』逸文には、聖徳太子のほか舒明天皇・斉明天皇・天智天皇など多くの皇族が来湯したと記されています。奈良時代の『万葉集』巻一にも名が見えます。傷ついた白鷺が湯で癒えたという白鷺伝説は、本館の塔屋「振鷺閣(しんろかく)」の名に残っています。

『日本書紀』の天武13年(684年)10月の条には、伊予の湯が止まって出なくなったという記事があり、白鳳地震によるものとみられています。ただし、この「伊予湯泉」が道後温泉を指すかどうかには異論もあります。

古代の謎 ― 聖徳太子と伊予湯岡碑

  • 596年、厩戸皇子(聖徳太子)が療養のため道後に滞在したと『伊予国風土記』逸文は記す。
  • 皇子は伊佐爾波の岡に登り、湯と景色を讃えて碑文を遺したと伝わる。これが「伊予湯岡碑」。
  • 碑の現物は今も見つかっておらず、道後温泉最大の謎とされる。14世紀に河野氏が湯築城を築く際に持ち去ったという説もある。
  • 碑文の様子を記した碑が、椿の湯の南側の緑地に建つ。

中世 ― 湯築城と湯の町

14世紀、伊予国を治めた河野氏が一帯を支配し、湯築城を本拠にしました。城跡は2002年に道後公園として開かれています。江戸時代には1635年に松山藩へ入った松平氏が温泉を経営し、湯の町を整えました。

明治の改築 ― 道後温泉本館

  • 1890年(明治23年)、伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)が道後湯之町の初代町長に就いた。老朽化した温泉の改築が町の懸案だった。
  • 伊佐庭は町長の給料を受け取らず、改築費に充てた。総工費は13万5千円で、町の財政が傾くと反対運動が起きたが、決定を通した。
  • 棟梁は城大工の坂本又八郎。1894年(明治27年)に神の湯本館棟が落成した。3階建てで、1階が浴場、2階と3階が休憩室。
  • 1899年(明治32年)、皇室専用の浴室を持つ又新殿(ゆうしんでん)・霊の湯棟が竣工した。
  • 塔屋の振鷺閣では、刻太鼓(ときだいこ)が朝6時・正午・午後6時の1日3回鳴る。1996年、その音が「残したい日本の音風景100選」に選ばれた。

文学の湯 ― 子規と漱石

  • 1895年(明治28年)4月、夏目漱石が英語教師として松山に赴任し、正岡子規や高浜虚子とたびたび道後に出かけた。
  • 小説『坊っちゃん』に道後温泉が出てくることから、本館は「坊っちゃん湯」とも呼ばれる。
  • 本館3階の「坊っちゃんの間」は、漱石が1895年10月に子規と使ったといわれる部屋で、1966年に漱石の娘婿の松岡譲が名付けた。

保存修理、そして現在

  • 1994年(平成6年)12月27日、本館の4棟(神の湯本館棟、又新殿・霊の湯棟、南棟、玄関棟)が国の重要文化財に指定された。
  • 本館は2019年(平成31年)1月15日から、営業を続けながら保存修理工事に入った。
  • 2024年(令和6年)7月11日に全館営業を再開した。
  • 外湯には本館のほか、椿の湯と、2017年9月に開業した飛鳥乃湯泉がある。

建物の造りは道後温泉本館の建築、子規と漱石の足跡は文学の湯 ― 正岡子規と夏目漱石が歩いた道後、湯築城は湯築城と河野氏、白鷺伝説と玉の石は白鷺伝説と玉の石にまとめています。

出典:

最終確認日: 2026年10月23日

この記事に登場するスポット

出典・参考資料

最終確認: 2026年10月